赤壁以降の、 荊州の四つの郡を取る前後のストーリーが、だんだん出来てきました。
趙雲ファンの間では有名な桂陽の縁談話についても、ちょっぴりひねって書く予定です。
ちなみに、趙雲は桂陽を攻めましたが、そのまま太守になって桂陽に長期間留まったわけではなく、劉備がほかのひと(郝普)を太守にしていたことがわかりました。
これで疑問がひとつ解消。
趙雲はその当時でも劉備の近くでかれを守っていただろうから、桂陽攻略後は劉備のいる公安に戻ったのでしょう。
たぶん(まだ自信がない)。
孔明は別の都市にいたので、この時期は、ふたりはちょっと離れ離れになるのかなあ。
たぶん(こちらも、まだ知識に自信がない)。
※
ちょっとずつ知識が集まってきて、だんだん頭がまとまってきたのは幸いです。
たぶん孔明だったらこういうことをしていただろうと考えたり、趙雲はこの時期、どうしようとしてただろうと想像したり、頭を使うのは楽しいです。
ちなみに、この時期になって、趙雲はやっと将軍になっているんですよね。
以前のサイトでは、初めから将軍と呼ばせてしまっていたので、「小説家になろう」に掲載するバージョンからは、「趙将軍」という呼び名は避け、「子龍どの」あるいは「子龍さま」と呼ばせるようにしてあります。
これからも、こういう間違いはたくさん見つかると思うので、都度、読み返しながら、すこしずつ直していきます。
もちろん、先にも進みながら。
今日もしっかりがんばりました。
明日もがんばります。
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